メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」






「パン屑はいただきます」       マルコによる福音書 7章24−30節

 「だれにも知られたくないと思っておられた」(24節)とあります。主イエスのお姿としては不思議です。しかし、主イエスがすべての人に「正しく」知られ、心から信頼されることを願っておられたことは、間違いありません。そのために、主イエスがあえてご自分を「隠され」、厳しい外観をお示しになることがあるのです。しかし私たちは、そのような外見の厳しさの背後に、溢れるばかりの愛と憐れみのお心があることを忘れてはならないのです。
 重い病に苦しむ幼い娘を持つ異邦の女性が主イエスに助けを求めた時、主イエスは「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、子犬にやってはいけない。」(27節)と言われました。この時もそうだったのです。冷たく突き放すようなお言葉の背後に、主イエスの篤い祈りがあったのです。異邦の女性はそういう主イエスを信じたのです。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」(28節)という言葉の中に、そういう主イエスへの深い信頼が示されているのです。
 女性は、主イエスの外見上の厳しい「拒絶」の言葉に屈することなく、むしろ主イエスのお言葉を逆手にとって、たとえ主の御目に「小犬」のような異邦人であっても、神の民イスラエルに与えられる恵みの「おこぼれ」はいただくことができます、と言って、主イエスの憐れみの恵みに頼ったのです。この女性の、どこまでも身を低くして、粘り強く主イエスに頼る信頼の姿勢が主イエスのお心を「捕らえた」のです。主イエスは、そのような信頼をすべての人に(何よりも神の民イスラエルに)求めておられるのです。