メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」






「心が人を汚す」           マルコによる福音書 7章14−23節

 「人から出て来るものこそ、人をけが汚す。中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」(20−23節)と主は言われます。「汚れる」とは、神の御目に「汚れる」ことであり、神の祝福を受けることができない者となるということです。しかし、このような「罪に汚れた」私たちのために、主イエスは十字架の死を遂げ、復活の命を現わしてくださったのです。この主イエスの復活の「清き命」に与って生きる以外に、神の御前に「清い者」として生きることができない私たちなのです。
 なぜ「悪しき思い」が心の中にわき起こって来るのでしょうか。それは、私たちが神との正しい関係(交わり)を失うからです。神に対して心を閉ざし、自分中心の世界に生きるからです。そこから「悪しき思い」が生まれて来るのです。自分の献げ物が神に顧みられなかったことに腹を立て、神に対して心を閉ざすことによって、激しい怒りに支配され、アベル殺害へと導かれざるを得なかったカインのように(創世記4章1節以下)。
 どうしたら正しい神関係に生きることができるのでしょうか。主キリストの十字架と復活の恵みに頼る以外にないのです。主イエスの十字架によってすべての罪は赦され、すべての人間が主イエスの復活の命に与って生きるように招かれているのです。この恵みに頼るのです。自らの心の汚れを御前に言い表しつつ。その時、私たちは主の清き命に生かされる者となるのです。