メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」






「洗礼者ヨハネの死」         マルコによる福音書 6章14−29節

 洗礼者ヨハネは、ガリラヤの領主ヘロデの結婚の不正を批判したかどで、捕らえられ、首をはねられて殺されました。ヘロデの誕生日の祝いに舞った妻ヘロディアの娘に対する褒美として、ヨハネの首が盆に載せて差し出されたのです(28節)。おぞましい権力者の横暴と愚かさを思わされます。
 神に仕えるヨハネの死は空しかったのでしょうか。しかし領主ヘロデは、主イエスの力ある歩みを耳にした時、自分が首をはねたヨハネが生き返ったと言って、怯えたのです(16節)。ヨハネの真実がヘロデの良心を苦しめたのです。その意味において、ヨハネの死は空しくなかったのです。「主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い。」(詩編116編15節)ヨハネの死も、深く神の御心のうちに覚えられた死であったことを信じることができます。
 ヨハネの死は、主イエスの死の予告です。主イエスもまたヨハネと同じように、いやそれ以上に悲惨な仕方で、人々から公然と「神に呪われた、恐るべき大罪人として」断罪されて、呪いの木(十字架)につけられたのです。しかし主は、その死を真実の愛と執り成しの祈りの中に受け入れてくださることを通して、すべての人間の罪の赦しと救いの道を拓いてくださったのです。
 主イエスは、御自身の十字架の死と復活によって、すべての人間を救わんとしておられるのです。ヘロデに勝る罪人であっても。「あなたの罪は私の十字架の死によって贖われ、赦されている。それ故に、安心して私の復活の清き命に与って生きるものとなりなさい。」そう言って主は、あらゆる人間の罪の愚かさを乗り越えて、力強く語り続けていてくださるのです。