メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」






「十字架につけるために引き渡した」      マルコによる福音書15章1−15節

 主イエスは、十字架につけられるために、ろばに乗って「柔和な王」(マタイ21章5節)としてエルサレムに入城されました。「柔和」とは、どこまでも謙遜に人間の罪を負うという意味で「柔和」なのです。「王」とは、その罪を負うことを堂々と、潔く負い抜くという意味で「王」なのです。その意味で、主イエスは「柔和な王」としてエルサレムにお入りになったのです。
 裁判において、多くの不利な証言が出されました。しかし、主イエスは総督ピラトが「不思議に思った」(5節)ほどに、堅く沈黙を守られました。すでに十字架の死を覚悟しておられたからです。
 なぜ、人々は主イエスを「憎む」のでしょうか。なぜ強引に、主イエスを十字架につけようとするのでしょうか。祭司長たちがイエスを引き渡したのは「ねたみのため」であったと10節に記されています。イスラエルの指導者たちは何を妬んだのでしょうか。
 神の御前にすべての人間は「罪人」であり、すべての人間は一人の罪人として神の御前に立つことを通してのみ神の救いに与ることができるし、与らなければならないという主イエスの教え(福音)を、妬んだのです。その福音を受け入れることができなかったのです。自分の義、自分の正しさを捨てることができなかったからです。
 「十字架につけろ」(14節)と、人々は激しく騒ぎ立てました。その中を、主イエスは「柔和な王」として歩み抜かれることによって、すべての人間の罪を贖い、すべての人間の救いの道を開いてくださったのです。