メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」






「御心のままに」            マルコによる福音書14章32−42節

 主イエスは、ゲツセマネ(油を絞るの意)の園で深い苦悩の祈りを捧げられました。34節で「わたしは死ぬばかりに悲しい。」と言っておられます。主イエスの「死ぬほどの苦しみ」とは何なのでしょうか。
 それは、罪を「贖う」苦しみなのです。人間の罪を贖うためには、その罪を受けなければなりません。どこまでも罪を受けて、しかも、罪を犯さないことが求められるのです。罪を犯さずに、罪を受けるのです。どんな罪に対しても、真実の愛と赦しと神への執り成しの祈りのうちにそれを忍ぶことが求められているのです。その試練に耐えることができるかどうかが、メシアとしての主イエスに課せられた最後の、最大の課題なのです。
 主イエスは、今までは、御自身の全てを父なる神に委ねる間に、神の豊かな聖霊の守りを与えられ、あらゆる罪から守られた力強い歩みをして来られました。しかし今や、主イエスは人間の罪を贖うために、罪を受ける立場に立たれるのです。文字通り、罪人として断罪される立場に立たされることによって。今やあらゆる人間の罪が主イエスを襲うのです。その罪を、どこまでも真実の愛と赦しと執り成しの祈りをもって受け抜くことができるかどうか、ということです。そのことが今、主イエスに問われているのです。
 そのことが、主イエスにとって「死ぬほどに」苦しいことであったのです。主イエスにとっても、恐ろしいことであったのです。それほどに人間の罪は深く、それを贖うことは困難であるということです。その困難な道を、しかし主イエスは真実に歩み抜いてくださったのです。