メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」






「聞く耳のある者は聞きなさい」 マルコによる福音書4章21−25節

 21節で「ともし火を持って来るのは、ます升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。」と言われています。
「ともし火」とは、神の御言葉のことです。御言葉の光が心の隅々までを照らすように、御言葉を心の中に掲げるようにしなさい、ということです。
 御言葉の光に照らされなければ、私たちの心の闇はいつまでも強力に働いて、私たちを支配するのです。しかし、私たちの心が御言葉の光に照らされるなら、御言葉の全能の力(死人をよみがえ甦らせる復活の力!)によって、私たちの心の闇は取り除かれるのです。「光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。」(エフェソ5章8−9節)とある通りです。
御言葉の光にさら曝される時、私たちの恥しい罪の姿があら露わになります。しかし主イエスは、そういう私たちのために十字架の死を遂げ、復活の命を現わし、そういう私たちが、幼子のような従順をもって、一人の全き罪人として、復活の主の救いの御手に頼ることを求めておられるのです。その主の救いの御手に与る時、私たちは、新しい命に生きる力を与えられるのです。その意味において主は、御言葉の光によって心を照らすように、と言われるのです。
御言葉を聞く時の「従順」が求められている、ということでもあるのです。神の御言葉が私たちの心の従順を「はか量る」のです。その量りに従って、「持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」(25節)と言われるのです。