メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」






「良い地に落ちた種」 マルコによる福音書4章1−9節

 主イエスは、御言葉に対する私たちの心の姿勢によって、御言葉に生かされる度合いが違ってくることを「種蒔き」のたとえをもって語られるのです。
 「道端」(4節)とは、御言葉に対して批判的、反抗的な心の姿勢のことです。その場合は、御言葉が語られると同時に、直ちにサタンによって御言葉が奪われてしまう(15節)ために、御言葉に聞くことができず、従って、いつまでたっても御言葉に生かされることができない人のことです。御言葉に批判的である間に、むしろ、御言葉に対する私たち自身の心の姿勢(従順)が問われているのです。
 「石だらけで土の少ない所」(5節)とは、主イエスを信じているのですが、主イエスの十字架の死が自分の裁きと救いのための出来事であることを心から受け入れることができず、従って、自分を一人の罪人として心の底から主の救いの御手に委ねることができない人のことです。そのために「御言葉のために艱難や迫害が起こる」(17節)と、躓いて、信仰から離れてしまうのです。
 「茨」(7節)とは、主イエスを心から信じ、主に委ねることができていても、「この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望」(19節)によって絶えず心が囚われ、支配されるために、それらに妨げられて、根は深く張り、葉は豊かに茂っても、信仰の良き実りをもたらすことができないのです。
 「良い土地」(8節)とは、一人の罪人として、全き信頼と従順をもって常に主の御前に立つことによって、主の力強い救いの働きに豊かに与り、30倍、60倍、百倍もの実を結ぶ(8節)ことができる人のことなのです。