メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」






「聖霊を冒涜する罪」 マルコによる福音書3章20−30節

 20節に「イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。」とあります。主イエスは、不思議に人を引き付ける力があるのです。何としても主イエスにお会いしたいという思いに駆り立てられて、人々は主イエスのもとに集まって来るのです。
 主イエスが、真に天の父なる神と共にある歩みをしておられるからです。主イエスの中に本当の神の命が満ちあふれているからです。人々は、何かそれを感じて、主イエスのもとに集まって来るのです。
 主イエスが、神と共にある、本当に信頼できる真実なお方であることを、心に示されながらそれを否定する、ということが起こりうるのです。「あの男は気が変になっている」(21節)、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」、「悪霊のかしら頭の力で悪霊を追い出している」(22節)という、主イエスに対する悪意ある批判は、そのような所から起こって来るのです。主イエスによって、自分の在り方が問われるからです。そして、それを認めたくないからです。それ故に、悪意をもってイエスを批判するのです。そういう自らに気づいて、主イエスの憐れみの救いの恵みに頼ることが求められているのです。
主イエスは、聖霊のお働きを通して、常に私たちの心の扉をたたかれるのです。主イエスを受け入れ、主の命に生きるようにと。その聖霊のお働きを拒むことが「聖霊を冒?する」(29節)罪なのです。主の救いのお働きを覚えつつ、それを拒むことは、自ら主の救いを拒むことになるのです。それ故に、それは「永遠に赦されない」(29節)罪を犯すことになるのです。