メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」


「生きている者の神」
           マルコによる福音書12章18−27節

 復活を信じないサドカイ派の人々が、申命記25章5節以下に記されている
いわゆるレビラト婚の極端な例を取り上げて、イエスを試みようとしました。
「復活の時、彼らが復活すると、その女はだれの妻になるのでしょうか。七
人ともその女を妻にしたのです」(23節)と。それに対して主イエスは「あな
たたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではな
いか。死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使
のようになるのだ」(24〜25節)と言われました。
 使徒パウロは、エフェソ5章21節以下で、結婚は「キリストと教会」を証し
する秘義であると言いました。つまり夫は、キリストが教会を愛するように、
責任的に妻を愛するべきであり、妻は、教会がキリストに仕えるように、従
順に夫に仕えるべきである、と言うのです。ただ、そのことを真に実現する
ためには、夫も妻も「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合う」(21
節)ことがなければならない、と言うのです。いずれにしても、結婚の最終
目標が「キリストと教会」であるなら、すべての結婚は、主キリストを長子と
する「神の家族」の中に収斂されていくのではないでしょうか。その意味で、
天上においては「めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになる」のです。
 さらに主イエスは「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ」
(27節)と言われました。神は、私たちが死んで初めて出会う神ではなく、
私たちが生きている日々の生活の中でお会いし、罪赦され、その全能の御力
によって罪清められつつ生かされる、その意味で「生きている者の神」なの
です。その意味で「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」(26節)なの
です。そして、アブラハムを生かし、イサクを生かし、ヤコブを生かされた
神は、また私たち一人ひとりをも生かしてくださる、主イエス・キリストの父
なる神なのです。この神の御力によって日々を生きることが求められている
のです。