メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」


「先頭に立って進まれた」
          マルコによる福音書10章32−34節

 主イエスは今日の箇所において3度目の受難予告をされました。主イエス
の3回の受難予告に共通していることは、常に最後に「復活」予告が付け加
えられていることです。この点について、昔からそして今日も、これは後か
ら教会がまた弟子たちが付け加えた編集の言葉であって、主イエスご自身の
言葉ではない、と解釈されてきました。
これは誤った解釈です。主イエスだからこそ、復活予告がおできになった
のです。なぜなら、主イエスは既に、隠れた仕方で、死人をよみがえらせる
「復活」の命(神の全能の命!)に生きておられたからです。「アッバ、父よ」
とご自身の全てを献げて父なる神に頼る間に、主イエスは常に聖霊によって、
あらゆる罪の肉の働き(例えば、マルコ7章21節「悪い思い」)から守られ
ておられたのです。それこそ、主イエスが死人をよみがえらせる、神の復活
の命に生きておられたことのしるしなのです。
そうであるなら、主イエスは、ご自身の復活を知っておられた故に、受難
の道を歩むことがおできになったのです。人間のすべての罪を負う十字架の
死を全うすることを通して、神の全能の御力によって、復活の命が明らかに
されることを知っておられたからです。それ故に主イエスは、弟子たちが驚
き怪しむほどに力強く、「先頭に立って」エルサレムに向かって進んで行かれ
たのです(32節)。主イエスにとって、受難の道は、同時に、復活の道でもあ
ったのです。
主イエスは、今も、十字架と復活の主、聖霊において働かれる主として、
私たち一人ひとりの「先頭に立って」進んで行かれるのです。この主イエス
の後に従って日々を生きることが、この世における最も確かな、最も安全な、
最も神の祝福を受ける歩みなのです。