メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」


「永遠の命を受け継ぐ」
          マルコによる福音書10章17−22節


 主イエスは「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、
善い者はだれもいない」(18節)と言われました。不思議な言い方です。
 主イエスは、いつも父なる神に対して「アッバ、父よ」とご自身の全てを
献げて祈りつつ歩まれました。その主イエスに対して神が常に聖霊の御臨在
の恵みをもって答えられた故に、主イエスはあらゆる罪の働きから守られた
方として歩むことがおできになったのです。ですから、主イエス以上に「善
い」お方はいないのですが、主イエスはご自分の「善」をただ神から与えら
れた恵みとお考えになられた故に、「神おひとりのほかに、善い者はだれもい
ない」と言われたのです。主イエスの深い謙遜を思わされます。
 主イエスが「殺すな、姦淫するな、盗むな〜」という掟を青年に語られた
時、主イエスが青年から期待したことは、「そういうことはみな、子供の時か
ら守ってきました」(20節)という言葉ではなく、「そういう神の掟を本当に
は守ることができないわたしが、どうしたら永遠の命を受け継ぐことができ
るのでしょうか」と言って、主イエスに頼ることだったのです。
 そこで、主イエスはこの青年の一番痛いところ、急所に触れられたのです。
「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧
しい人々に施しなさい。〜それから、わたしに従いなさい」(21節)。青年は
「この言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去り」ました。ここでこそ青年
は主イエスにより頼むべきだったのです。主イエスの御言葉に従い得ない自
らの不従順の罪を言い表しながら、このような自分がどうしたら永遠の命を
受け継ぐことができるでしょうか、と。その時青年は、主イエスにある永遠
の命に与るすべを見出すことができたのではないでしょうか。後に、青年が
主イエスの十字架と復活が自分の罪のための赦しと救いの出来事であること
を知り、主イエスの御前にぬかずくことができた時、青年は主イエスにある
永遠の命を受け継ぐものとなることができたと思うのです。