メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」


 「互いに平和に過ごしなさい」
 
             マルコによる福音書 9章42−50節


 「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石
臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい」(42節)と
主イエスは言われます。激しい言葉です。
 主イエスを信じる者を「小さな者」と言っておられるのです。力がなく、弱
く、乏しい者なので「小さな者」なのではありません。神の御前に自らの罪
深さを言い表しつつ、主の霊(命)に生きようと信仰に励む者を「小さな者」
と言っておられるのです。ルカ福音書10章21節で、主イエスが聖霊による
喜びに満たされつつ、「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これ
らのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになり
ました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした」と言っておられる
「幼子」と同じです。神の御前に「小さな者」として立つことが神の祝福に
あずかる唯一の道であることを、主イエスは明言しておられるのです。
 それにしても、なぜ主イエスはあのように激しい言葉を用いているのでし
ょうか。「大きな石臼」とは、ろばが引く石臼のことです。それを首に懸けら
れて海に投げ込まれる方がはるかによい、と言われるとは。主イエスは神の
御前に自らを「小さな者」と言い表しつつ、主の命に生きようとする信仰者の
取り組みを励ましておられるのです。皆が少しでも自分を「大きな者」と見せ
ようとしながら生きているこの世の現実の中で、その誘惑に屈せず、忍耐強
く自分を「小さな者」と言い表しながら(神の御前にそれが事実なのですか
ら!)信仰に生きようとする者たちを守り、励まそうとしておられるのです。
 そして、そのような信仰に生きるところに、「平和」に生きる真の道がある、
互いにその道を歩むように、と主イエスは言われるのです。