メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」


 「だれがいちばん偉いか」
             マルコによる福音書 9章30−37節


 主イエスは2度目の受難予告をされました(31節)。弟子たちはその意味が
分からなかったのですが、怖くて主に尋ねることができませんでした。最初
の受難予告の時に、主イエスから「サタン、引き下がれ。あなたは神のこと
を思わず、人間のことを思っている」(8章33節)と叱られたということもあ
りましたが、それだけでなく、弟子たちは主イエスの受難などということを
考えたくなかったのです。弟子たちにとって、主イエスの受難は主イエスの
敗北のように思われ、考えるだけでも恐ろしいことに思われたからです。
 そういう弟子たちが、彼らの伝道の拠点カファルナウムに戻る途中、「だれ
がいちばん偉いか」という議論をし合いました(33〜34節)。なぜ弟子たちは
そんな議論をしたのでしょうか。主イエスの2度目の受難予告を聞いた後で。
弟子たちは不安だったのではないでしょうか。もし本当に主イエスの受難が
現実のことになった時、主イエスに従ってきた自分たちはどうなるのか。自
分たちが主イエスに従ってきた弟子としての歩みは無意味なものになってし
まうのではないか。主イエスがいなくなった後で、自分たちに残るものがあ
るのか。そんなことを考えているうちに、だれがいちばん主イエスの弟子と
して業績を残したか、主イエスの弟子として優れていたか、などという話に
なったのではないではないでしょうか。あまりに人間的な弟子たちです。
 主イエスの弟子として生きる真の課題は、どれだけ深く主イエスの十字架
の死と復活の恵みに与かって、この世の人間的な価値観の囚われから自由に
されて(解放されて)生きることができるか、ということです。弟子たちが
そのことを本当に学ぶことができたのは、主イエスの十字架と復活の出来事
が起こった後、復活の主イエスとの交わりの中に生きるようになってからの
ことでした。