メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」


 「信仰のないわたしをお助けください」

              マルコによる福音書 9章14−29節


 困難な病に苦しむ子供の父親が、主イエスに「おできになるなら、わたし
どもを憐れんでお助けください」と申しました。それに対して、主イエスは
「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる」と言われました(22〜
23節)。
 父親は子供の重い病に絶望していたのです。「この子は霊に取りつかれて、
ものが言えません。霊がこの子に取りつくと、所かまわず地面に引き倒すの
です。すると、この子は口から泡を出し、歯ぎしりして体をこわばらせてし
まいます」(17〜18節)と言っています。父親の深い絶望が伺えます。
 そして、主イエスの弟子たちが子供の病を癒すことができなかったことも
父親の絶望をいっそう深くしたのではないでしょうか。主イエスの弟子たち
さえ病を癒すことができなかった、それなら、主イエスも癒すことがおでき
にならないかもしれない。そういう思いが「おできになるなら」という父親
の言葉となって表れたのでしょう。
 しかし、「おできになるなら」癒していただきたいということは、「できな
いなら、仕方がありません、結構です」という気持ちでしょう。主イエスは
そういう父親の中途半端な態度、いや、本当には主イエスを信じていない態
度を厳しく戒め、「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる」(23
節)と言われたのです。
 「できれば」と言うかと鋭く父親の不徹底な態度を戒められた主イエスの
御言葉によって、父親は自分の中にある主イエスに対する不信仰、いや、「信
仰のない」自分に気づかされ、即座にしかし心から「信じます、信仰のない
わたしをお助けください」(24節)と叫んだのです。「信仰のない」自らの本
当の姿に気づかされ、その自分に対する主イエスの助けを心から祈り求める
時、そこから、主イエスの救いに生かされる道が開かれるのです。