メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」


「天からのしるしは与えられない」

              マルコによる福音書 8章11−13

 ファリサイ派の人々がイエスを試そうとして「天からのしるし」を求めた
時、主イエスは「どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう。
はっきり言っておく。今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない」
と言って、深く嘆かれました(1112節)。
 「天からのしるし」とは、主イエスが神から遣わされたメシア(救い主)
であることが誰の目にもはっきりとわかるような「証拠」ということです。
そういう「しるし」を見せよ、とファリサイ派の人々は主イエスに迫ったの
です。
 しかし、主イエスは、事実、神と共にあって、力強く神の言葉を語ってお
られたのです。力ある業(奇跡)を行っておられたのです。ですから「聞く
耳」があり、「見るべき目」を持っていれば、自ずから主イエスが神から遣わ
されたメシアであることがわかったはずなのです。初めから主イエスに対し
て心を閉ざしていて、その上で「天からのしるし」を求めるファリサイ派の
人々の心の頑なさを、主イエスは深く嘆かれたのです。
 そして、あえて主イエスが神から遣わされたメシアであることのしるしを
挙げるなら、それは「十字架」である(マタイ12章39〜40節)と主イエス
は言われるのです。主イエスの十字架の死は、むしろ、主イエスがメシアで
はないことの「しるし」です。しかし、主イエスは、その十字架の死を真実
に受け抜き、すべての人間の罪の裁きを代わって担うことによって、メシア
の業を完成してくださったのです。それなら、主イエスの十字架の死こそ、
主イエスがまことのメシアであることの唯一の「天からのしるし」なのです。