メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」


「この方のすべてが、すばらしい」         マルコによる福音書73137

 人々が「耳が聞こえず舌の回らない人」を連れて来て癒しを求めた時、主イエスは「この人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ」「唾をつけてその舌に触れ」「天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、『エッファタ』と言われ」ました。「すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるように」なったのです(3235節)。
 なぜこの人だけを群衆から連れ出したのでしょう。この人をひとり真剣に神の御前に立たせ、神から与えられる恵みを深く味わわせるためだったのではないでしょうか。主イエスが指を両耳に差し入れ、唾をつけて舌に触れ、天を仰いで深く息をつき、「エッファタ」(開け)と言われたのは、主イエスが病める人に深く寄り添い、病める人と一体となり、病める部分を主イエスご自身が担い、代わって、主イエスの清い命が病める人に与えられる、そのようにして癒しが行われたことを理解することができるでしょう。
 主イエスは私たちの一つ一つの罪をご自身の十字架の死をもって担ってくださり、代わって、主イエスの罪と死に勝利する復活の命が私たちに与えられ、それによって、罪ある人間がまことの清さ、正しさに生きることができるものにされました。あの癒しの出来事はこの主イエスの救いの出来事を指し示しているのです。主イエスの十字架と復活による救いの出来事を指し示しつつ、あの癒しの出来事が行われたのです。
 人々は主イエスの癒しの御業を見て、「この方のなさったことはすべて、すばらしい」(37節)と賛美しました。しかし、主イエスに対する本当の賛美は、この癒しの御業によって指し示されている主イエスの十字架と復活の出来事を覚え、その救いの恵みに与る時なのです。その時、私たちは心からの賛美をもって、「この方のすべてがすばらしい」と主イエスをほめたたえるのです。