メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」


「触れた者は皆いやされた」       マルコによる福音書65356

「村でも町でも里でも、イエスが入って行かれると、病人を広場に置き、せめてその服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れた者は皆いやされた」(56節)と記されています。人々は、主イエスが神から遣わされたお方であり、神の全能の力が働くお方であることを信じたのです。それ故に、人々は主イエスの尊いお体に触れ、主の癒しに与ることを求めたのです。
 人々は心から主イエスを信頼しました。しかし人々は、主イエスがどういうお方であるか、主イエスがご自身を十字架に献げ、それによってすべての人間の罪を赦し、そのことを通してすべての人を神の救いに生かそうとしておられるお方であることを、まだ知らなかったのです。
 何よりも、主イエスの「癒し」が、「罪の赦し」に基づくものであることを知らなかったのです。マルコ福音書25節で、主イエスは「子よ、あなたの罪は赦される」と言われました。その上で、中風の癒しを行われました。ここに、主イエスの癒しが、罪の赦しを前提にしたものであることが示されています。そうであるなら主イエスは、一人ひとりの病をいやす度に、一人ひとりの罪を担い、罪を赦しておられるのです。主イエスの癒しは、単に神の全能の力によって癒しが行われているだけでなく、主イエスが一人ひとりの罪を深く赦しながら、癒しを行っておられるのです。主イエスは、一人ひとりの癒しのために、すでに十字架の死を味わっておられたのです。その十字架の愛と赦し中で、癒しが行われたのです。
 そうであるなら人々は、ただ主イエスの癒しを喜ぶだけでなく、心からの感謝と悔い改めの心をもって主イエスに応えていくことが求められていたのです。