メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」


「人々はイエスにつまずいた」     マルコによる福音書6章1−6節

 主イエスはご自身の故郷ナザレに行かれ、会堂で福音を宣べ伝えられました。主イエスはご自身を深く父なる神さまに献げておられたので、お語りになる言葉に力がありました(ルカ福音書4章18節以下)。
 しかし、ナザレの人々は主イエスの御言葉を素直に聴くことができませんでした。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか」(2〜3節)と言って、イエスを疑ったのです。イエスの生まれ育ちを知っていることが妨げとなり、イエスを通して語られる神の御言葉を心に受け入れることができなかったのです。こうしてナザレの人々は主イエスにつまずいたのです。
 不信を抱く故郷ナザレの人々を前にして、主イエスは「ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった」(5節)と記されています。主イエスは、不信を抱く人々の心を逆なでするように、奇跡を行って、強引に自分の正しさを認めさせようとするようなことをせず、イエスを信じ切れないナザレの人々の心に寄り添うように控えめに過ごされたのです。ここに、主イエスの愛が示されています。ナザレの人々の不信仰に驚きつつも(6節)、主イエスはナザレの人々にも神の愛と赦し、救いの恵みを伝えたいと願いながら、いよいよご自身の十字架の死への覚悟を深めつつ、静かに過ごされたのでした。