メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」


「聞く耳のある者は聞きなさい」       マルコ福音書4章1−9節

 主イエスの種まきのたとえは、分かりやすいようでいて、今一つわかりにくい面がある、そんなたとえではないでしょうか。
「道端」とは、種、即ち、神の言葉が蒔かれると、鳥、即ち、サタンが来て、御言葉を奪ってしまうので、御言葉を心に受け止めることのできない人、「石地」とは、御言葉を喜んで受け入れるが、艱難や迫害が起こると、すぐに躓いてしまう人、「茨」とは、御言葉を聞くが、この世の思い煩いや富の誘惑その他いろいろな欲望によって御言葉をふさいでしまうので、実らない人、そして、「良い土地」とは、御言葉を聞いて受け入れ、30倍、60倍、100倍もの実を結ぶ人である、と主イエスご自身が解説しておられます(13〜20節)。
「良い土地」とは、実際にはどういう土地のことでしょうか。どうしたら私たちは「良い土地」になることができるのでしょうか。良い土地とは、自分が決して「良い土地」ではなく、むしろ、自分自身は常に「道端」であり、「石地」であり、「茨」であることをよく知っている人のことではないでしょうか。御言葉を聞いても、なかなか心に深く受け止めることのできない自分の弱さ、不信仰をよく知っている人ではないでしょうか。そういう人こそ、真剣に御言葉に頼ることによって、30倍、60倍、100倍もの実を結ぶ者とされるのではないでしょうか。自分の愛の貧しさを知る故に、真剣に主に頼ることによって、愛において、赦しにおいて豊かに実を結ぶ者とされるのではないでしょうか。主イエスは、そのことを言わんとして、「聞く耳のある者は聞きなさい」(9節)と言われたのではないでしょうか。