メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」


「主イエスのもとに集う人々」      マルコによる福音書3章7-12節

 主イエスがファリサイ派の人々との対立から逃れてガリラヤ湖畔に退かれた時、ガリラヤ、ユダヤ、エルサレム、イドマヤ、ヨルダンの向こう側、ティルスやシドンの辺りからおびただしい群衆が集ってきました(7〜8節)。神に祝福された力ある指導者を一目見たいとイスラエル全土から人々が集まってきたのです。主イエスの存在自体がすでに「闇に輝く光」だったのです。
 これほど多くの人が主イエスのもとに集って来たということは、ある意味では主イエスのメシアとしての活動の勝利を意味しました。しかし主イエスは、それで満足することはありませんでした。こういう人々によって「主の教会」をつくることを考えてはおられませんでした。主イエスははるか遠く、神の都エルサレムにおける十字架の死を目指しておられたのです。
 なぜでしょうか。なぜ主イエスはご自身を慕い求める人々によって「主の教会」を形成することをお考えにならなかったのでしょうか。それは、人間には解決しなければならない問題があったからです。「汚れた霊」(11節)の問題です。この問題の解決なしには、人間の本当の救いはないし、主の教会の形成がないことを、主イエスはよく知っておられたのです。
「汚れた霊」とは、私たちの心の中に生じる「悪い思い」(7章21節)のことです。これが人を「汚す」のです。主イエスは私たちの中から「汚れた霊」を取り除くために、十字架の死を遂げ、復活の清き命を明らかにしてくださったのです。主イエスは、この命に与って生きる人々と共に「主の教会」を形成し、すべての人がこの命に与って生きることを願っておられるのです。