メッセージ  (説教より)
「マルコによる福音書」


「罪人を招くために」       マルコによる福音書2章13—17節

「アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて」(14節)とあります。「レビ」とは、別名「マタイ」です。マタイ福音書の著者、或いはその原福音書を書いた人と言われます。「座っている」という表現の中に、マタイの深い虚無感、絶望感が示されているのではないでしょうか。
「収税所」とは、税金(通行税)を集める役所です。当時の徴税は請負制で、一定の額で国(この場合は領主へロデ)から徴税を任されれば、あとは実際にどれだけ徴収しても構わない、多く集めればそれだけ利ザヤを稼げるという制度になっていました。そのために徴税人は、多くの収入を得ながらも、一般の人々からは深い疑いの目で見られていました。そういう人々の視線を浴びながら、マタイは日々を生きていたのです。
 自分でも自分を裁く気持ちがあったのではないでしょうか。こんな仕事をしている者は、決して神に喜ばれない。神の律法を守ることからも遠い生活をしている。もはや自分のような人間は神に救われることはできない。そういう虚無と絶望の中で、無気力に生きていたマタイの姿を「座っている」という表現は言い表しているのではないでしょうか。
 主イエスは、そのマタイに目を留め、深く憐れみ(1章41節)、「わたしに従いなさい」と声をおかけになったのです。「立ち上がって」(14節)とあり ます。嬉しかったのではないしょうか。こんな私を主は招いてくださった、神は私をお見捨てにならない。そういう思い(信仰)を与えられ、マタイは決然と、すべてを捨てて(ルカ5章28節)、主に従う者となったのです。