メッセージ (説教より) 「マルコによる福音書」 |
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「権威ある新しい教え」 マルコによる福音書1章21-28節
「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ」と叫んだ「汚れた霊に取りつかれた男」に対して、主イエスが「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行き、これを見た人々は「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ」と言って驚いた、と記されています(23~27節)。
不思議な話ですが、主イエスが人の心(魂)を新しく造り変える全能の神の御力を持つお方であることが分かるのではないでしょうか。
主イエスは、「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、…命を失う者は、それを救うのである」(マルコ8章34~35節)と言われました。
「自分を捨てる」という言葉が、厳しい、と感じるのではないでしようか。自分を捨てなければ、主イエスの救いに与ることができないなら、私はとても主の救いに与ることができない、と思ってしまうのではないでしようか。
私たちは、自分の力で「自分を捨てる」ことはできません。それは不可能です。主イエスの全能の御力に頼るのです。「自分を捨てる」ことができる者とならせてください、と心から主に折るのです。すると主イエスは、汚れた霊を追い出された全能の御力をもって、私たちを「自分を捨て」て主に従う者に変えてくださるのです。「黙れ。この人から出て行け」という主イエスのお叱りの言葉は、力強い、愛の、救いのお言葉であることが分かります。