メッセージ  (説教より)
「ルカによる福音書」





「主が遣わすメシア」    ルカ福音書2章22−40節

 「主が遣わすメシア」をひたすらに待ち望んでいた老信仰者シメオンは、両親によってエルサレム神殿に連れて来られた幼子イエスを見て、「わたしはこの目であなたの救いを見た」と言って、幼子を腕に抱き、神をたたえたのです(25−30節)。
 幼子イエスは、まだ「救い主らしい」働きは何もしていなのです。ただ普通の幼子としてそこにいただけなのです。しかしシメオンは、聖霊の働きの中で心の目が開かれることによって、その幼子が神から遣わされたメシアであることを知ることができたのです。
幼子イエスの中に、事実、神が共にいてくださる(インマヌエル)のです。神が人間の現実のただ中に来てくださったのです。その尊い事実をシメオンは、聖霊の助けの中で知ることができるとともに、その恵みに与ることができたのです。主イエスを信じる者が、聖霊の助けによって、神と共にある主イエスの清き命に与って生かされるように。
それ故にシメオンは、「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます」(29節)と語ることができたのです。神共にいます幼子の清き命に与って、心の解放へと導かれたからです。
信仰とは、私たちがただ一方的に神を信じる行為ではありません。私たちの信仰に、神が聖霊をもって、主キリストの霊的臨在をもって答えてくださるのです。それによって心の解放を与えられるのです。それ故に信仰は、真に尊いもの、いや、神が全ての人間にお求めになるただ一つのことなのです。