メッセージ  (説教より)
「ルカによる福音書」


「よき隣人となる」                 ルカによる福音書10章25-37節

 隣人愛について尋ねた律法の専門家に対して、主イエスは「善きサマリア人」のたとえをもってお答えになりました。追いはぎに襲われ半殺しにされて道に倒れていた旅人を見て、通りかかった祭司やレビ人は「道の向こう側を通って」行ってしまったのに、一人のサマリア人は「その人を見て憐れに思い」、旅人がサマリア人にとって積年の敵であるユダヤ人であったにもにもかかわらず、自分としてできる限りの奉仕をしてその旅人を助けたのです。このたとえをもって主イエスは、サマリア人のように、助けを必要とする人の「隣人になる」ことが、「隣人を愛する」ことである、と言われたのです。
 どうしてサマリア人は「よき隣人」になることができたのでしょうか。「その人を見て憐れに思い」(33節)とあります。この「憐れに思う」という言葉は、「内臓」(スプランクノン)を激しく動かすという意味の言葉で、相手との深い「一体感」を表す言葉です。サマリア人は助けを求めて苦しむ人の中に、自分自身の姿を見たのです。
 使徒パウロは、ローマ人への手紙7章7節以下で深い罪認識を言い表しています。すべきことをせず、してはならないことをしてしまう「罪の奴隷」である自分について、「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか」(24節)と言っています。
 主イエスとの出会いの中で、惨めな罪人としての自分を知り、その自分をお見捨てにならず、限りない憐れみをもって救いの中に生かしてくださる主イエスの救いの恵みを知った者は、困難な状況にある人の中に自分自身の姿を重ね合わせることによって、自ずから「よき隣人」となるよう導かれるのではないでしょうか。