メッセージ  (説教より)
「ルカによる福音書」


「すべての人を照らす啓示の光」   ルカによる福音書2章25-40節

 幼子イエスは貧しい家庭の長男としてユダヤ社会の現実のただ中にお生まれになりました。そのことは、マリアとヨセフが、マリア自身の清めと幼子イエスの神への奉献のために献げた献物が、貧しい者たちのための例外規定(レビ記5章11節)に従ったものであったことからわかります(24節)。
 つまり、幼子イエスは、一人の人間としてこの世の現実の中にお生まれになりましたが、その存在の「根源」(根底)には神がおられ、イエスの人間としての歩みのすべてを神が守っておられた故に、主イエスはあらゆる罪の肉の働きから守られ、人間として真の「淸さ」の中に生きることがおできにな ったのです。十字架の死に至るまで。それ故に、主イエスの十字架の死は、すべての人間の罪を「贖う」(赦す)力を持っていたのです。
 このような幼子イエスの「本質」を見抜いたのが、メシア到来を心から待ち望んでいた老信仰者シメオンでした。そのシメオンの心の目が聖霊によって開かれた時、幼子イエスの神共にいます本質を見抜くことができたのです。
「主よ、今こそあなたは、…この僕を安らかに去らせてくださいます。…この目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光…」(29-32節)。幼子イエスが「すべての人を照らす啓示の光」(32節)と言われています。主イエスはすべての人を救う救い主だが、聖霊によって心の目が開かれた人だけが、その本質を見抜き、その救いに与ることができる「啓示の光」であると言われているのです。