メッセージ  (説教より)
「ルカによる福音書」


「悔い改めが、宣べ伝えられる」   ルカによる福音書24章36−49節

 復活の主イエスは、エマオの途上においてはご自身の姿を隠して現されましたが(13節以下)、今やはっきりと復活のご自身の体を表わしつつ弟子たちの前に立たれました。しかし弟子たちは、かえってうろたえ、「亡霊を見ているのだと思った」(37節)のです。
 そういう弟子たちに対して、復活の主は「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある」(38〜39節)と言われ、それでも信じられないでいる弟子たちの前で、「焼いた魚」を食べて見せさえされたのです(43節)。どこまでも謙遜に、身を低くして、弟子たちの思いに応えようとされる、愛に満ちた復活の主のお姿です。
 45節に「聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、…」とあります。 弟子たちの「心の目が開かれる」こと自体が、死人をよみがえらせる、神の全能の、復活の命の働きなのです。使徒パウロが、ダマスコ途上で復活の主イエスに出会って心の目が開かれ、主イエスの十字架の死の正しさを知ることができたように(使徒言行録9章1節以下)。
 復活の主の御力によって、心の目が開かれ、主イエスの十字架が私の罪の赦しのための出来事であることを知り、神のみ前に自らの罪(心の不従順)を言い表し、復活の主の命に生かされる者となるために、今や「罪の赦しを得させる悔い改め」(47節)がすべての人に宣べ伝えられるのです。