メッセージ  (説教より)
「ルカによる福音書」


「心が燃えたではないか」  ルカによる福音書24章13−35節

 エマオという村に向かって歩いていた二人の弟子たちに対して、復活の主 イエスは旅人の姿でご自身を表わされ、彼らと歩みを共にされました。
 二人の弟子は、主イエスに「イスラエルを解放してくださる」方(21節)として望みをかけていましたが、主イエスの復活を信じることはできませんでした。婦人たちや他の弟子仲間から「イエスは生きておられる」(23節)との伝言を聞かされても、信じることはできませんでした。主イエスの復活は、弟子たちにとっても信じがたい出来事だったのです。
 復活の主は「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか」(25〜26節)と言って、聖書全体を説き明かすことによって、ご自身の復活を説明されました。
主イエスの復活を信じるただ一つの道は、主イエスが神の御子メシアとして、人間の罪を負う十字架の死を真実に遂げてくださったことを信じることによるのです。主イエスの十字架の死が神の御心に適い祝福されることによって、主イエスの死のお体に、神の全能の御力が加えられ、人間の最後の敵である死の力が打ち破られて、主イエスは復活の永遠の命の中によみがえられたのです。そのことを深く覚える時、あの二人の弟子が旅の途上で主の御言葉の説き明かしによって「心が燃えた」(32節)ように、私たちの心も燃やされるのではないでしょうか。主のご受難を覚えることによって私たちの心が信仰の喜びに燃やされることが既に、復活の主の救いの御働きなのです。