メッセージ  (説教より)
「ルカによる福音書」


「幼子に現された神の救い」       ルカによる福音書2章22-40節


 幼子イエスは、外見上は、貧しい家庭に生まれたみすぼらしい一人の赤ちゃんにすぎません。しかし老信仰者シメオンは、その幼子を腕に抱いて、「わたしはこの目であなたの救いを見た」(30節)と言って、神を賛美したのです。
 不思議なことです。しかし、この幼子は事実、外見上の貧しさにもかかわらず、その中に神が共にいます神の命そのもののお方なのです。そしてシメオンは、日々の祈りの生活の中から「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない」(26節)という神の約束を与えられ、あふれる信仰の望みの中に日々を過ごしていたのです。そうであれば、どうしてこの両者が空しくすれ違ってしまうことがあったでしょうか。シメオンは幼子を一目見た時、聖霊の導きの中で、これこそ神が遣わされたメシアであることを確信して、心からの賛美へと導かれたのです。神さまの確かな導きを思わずにいられません。
 幼子イエスを胸に抱きしめることによって、シメオンは事実神の救いに与ったのです。それ故に、深い心の平安の中で「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます」(29節)と語ることができたのです。「安らかに去る」とは、幼子イエスに現された神の救いの故に、あらゆる思い煩いや恐れや不安、執着から解放されて、安心してこの世を去ることができるということです。しかしそれは、言い換えれば、御子イエスの救いの故に、あらゆる思い煩いや恐れや囚われから解放されて、安心して「生きる」ことができるということです。どんな困難な状況の中にあっても、主イエスを見つめながら、力強く生きることができるということなのです。