メッセージ  (説教より)
「ルカによる福音書」


 「とりなし祈る交わり」          ルカによる福音書22章31-32節

 今年度の教会標語は、「とりなし祈る交わり」です。互いの信仰のために神の御前にとりなし祈りながら、教会の主にある交わりを深めたいと願います。
 「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。」(31節)とあります。
 ペトロは、主イエスの十字架に躓いたのです。主イエスの十字架の死の現実が事実となって迫った時、主イエスを信じる信仰は空しいのではないか、無意味ではないかという深刻な信仰の疑いに見舞われたのです。そのペトロのために、主イエスは深いとりなしの祈りをもって支え、その主のとりなしの故に、ペトロは主を信じる信仰に踏みとどまることができたのです。
 「死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです」(ローマ8章34節)。主イエスは、復活された後、父なる神の右に坐して、私たち一人ひとりのために、今も、常に、父なる神に対して「とりなし」ていてくださるのです。私たちの信仰がなくならないように。ご自身の十字架の死に基づいて。「わたしは、この者のために十字架の死を遂げ、すべての罪を贖いました」と言って。この主イエスのとりなしのおかげで、私たちは今もなお、あらゆる誘惑の中で主を信じる者として生きることを許されているのです。
 この主を覚えながら、私たちも互いの信仰のために「とりなし祈る」ことが、主の御心(32節)であり、主の教会の交わりに生きる者の姿なのです。