メッセージ  (説教より)
「ルカによる福音書」


「幸いな者と言われる」         ルカによる福音書1章39−56節

 マリアは、自分でも信じることができなかった聖霊による神の御子の懐妊を、御言葉と聖霊の助けの中で、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(38節)と言って、心から受け入れることができました。
そのように自らの内に行われる不思議な神の御業を受け入れることができた時、マリアは聖霊に満たされ、心からの喜びに溢れたのです。ここに、マリアの「幸い」があるのです。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(45節)とエリサベトが語ったマリアの幸いがあるのです。そしてここに、「生まれ変わった」マリアの姿があり、自らの内に行われる神の救いの御業を信じて生きる信仰者の姿があるのです。
マリアは、再び聖霊に満たされ、「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も、わたしを幸いな者と言うでしょう」(46〜48節)と賛美を歌いました。
 マリアの喜びは、ただ一人自分が選ばれたからではなかったのです。「身分の低い」自分のような者が選ばれたことが、嬉しかったのです。マリアは自らの選びによって、神の選びがどのようなものであるかを知ったのです。「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返される」(51〜53節)、そのような神であることを知ったのです。そのような神の選びであることが、嬉しかったのです。そのような神の選びの「最初のもの」として自分が選ばれたことが嬉しかったのです。