メッセージ  (説教より)
「レビ記」


「聖なる者となれ」
                レビ記19章 1-18節

 レビ記19章のタイトルに「聖なる者となれ」とあります。これは旧約聖書
全体の中心メッセージと言えます。しかし、新約聖書にもペトロの手紙一1
章15節に「召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活
のすべての面で聖なる者となりなさい」とあり、ヘブライ人への手紙12章14
節には「聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主
を見ることはできません」とありますので、「聖なる者となれ」とは聖書全体
のメッセージであることがわかります。
 「聖なる者となる」とはどういうことでしょうか。それは、清く正しい者、
道徳的に立派な人になる、ということではありません。「聖別」という言葉が
あります。神に献げるために多くのものの中から「より分ける」という意味
です。それ自体は特別に「清いもの」「良いもの」ではないのです。ただ、神
に献げられると、神がこれを受け入れ、ご自身の命によって清めてくださるの
で、その時初めて本当に「清いもの」とされるのです。それ自身は清いも
のではないのですが。
 「聖なる者となる」とは、端的に、神に礼拝を献げる者となることです。
祈る者となることです。日々の生活の中で、神の導きを覚えつつ主イエスの
教え(隣人愛の実践!)に生きることです。そういう生活にどんなに励んで
も、それによって「清くなる」ことはできません。そもそもそういう信仰生活
を「完全に」行うことはできません。いつも罪が、弱さがつきまといます。
ただ、そういう信仰生活に自分なりに誠実に励みながら、その中で礼拝を献
げ、祈るのです。そういう私たちの礼拝と祈りを神は喜んでくださるのです。
そういう「聖なる生活」に励むことなしには、だれも「主を見る」(主キリスト
の臨在に与る)ことはできない(ヘブライ12章14節)と言われているのです。