メッセージ  (説教より)
「レビ記」


「罪のあがない」
                    レビ記16章 1-10節

 レビ記16章に「罪のあがない」(贖罪)について記されています。「贖い」
(あがない)とは、代価あるいは犠牲を払って「買い取る」(所有権を取り戻
す)という意味があります。難しい言葉ですが、聖書全体を貫く最も基本的
な概念の一つです。牛や羊、山羊の命を犠牲にすることによって、人間の罪
(神関係の違反)を赦していただき、神との正しい関係(交わり)を回復さ
せていただく(正しい神関係を買い取らせていただく)ことを求めたのです。
 信仰において最も重要なことは次のことです。人間はそもそも神によって
造られた被造物ですから、神の「所有物」なのです。しかし人間は、アダムと
エバの罪(原罪)以来、神から遠く離れ、人間中心の世界の中に生きるよう
になってしまったのです。神の所有物ではなくなってしまったのです。人間
にとってはそれが自由であり、自然なこと、当り前のことのように考えるの
ですが、神からすれば、それは果てしなく罪から罪へと辿る「滅び」の道で
しかないのです。
 神は何とかしてご自分との交わりから離れた人間を「買い戻し」、神の所有
物としての人間の本来の生き方に導きたいのです。しかし、罪を犯して、神
から離れてしまった人間を「買い戻す」には、高い犠牲を払わなければなら
なかったのです。神ご自身の御子の命を犠牲として献げなければならなかっ
たのです。それほどに人間の罪は深く、その罪を「贖う」(買い取る)価いは
高価なものであったのです。しかも、ただ御子の命が十字架上に献げられる
だけでは済まなかったのです。御子は人間の罪のために苦しみ抜かなければ
ならなかったのです。どんなに罪を受けてもそれを忍び抜き、愛と赦しによ
って罪に勝利しなければならなかったのです。そういう御子イエスの余りに
高価な(!)犠牲によって、始めて人間の罪は「贖われ」(買い取られ)、人
間の罪の赦しと救いの道が開かれたのです。