メッセージ  (説教より)
「レビ記」


「清さを求めて」
                    レビ記13章 1-17節

 レビ記の11章には「清いものと汚れたものに関する規定」が、12章には「出
産についての規定」が、13章には「皮膚病」について、14章には「清めの儀
式」について、15章には「男女の漏出による汚れと清め」について記されていま
す。細かな定めが記されています。
 これらの定めは、今日の私たちからすると、まったく理解不能なものに思
われます。11章で「ひづめが分かれ、反芻する」動物が清く、そうでないも
のは汚れているとされていますが、どうしてそう言えるのでしょうか。13章
では祭司が皮膚病について判定する権限を持っていることが記されています
が、本当に祭司に正しい判断能力があるのでしょうか。納得できないことが
多く記されています。しかし、これが旧約聖書の信仰の世界なのです。この
旧約聖書の定めに私たち人間の思いを挟まず、そのまま服するところに神の
祝福があり、神の霊に生かされる道があったのです。
 これら旧約聖書の理解を絶する細かさは何を意味しているのでしょうか。
神の御前における「清さ」を真剣に求める態度が示されているのではないでし
ょうか。神の御前にどこまでも「清く」あろうとする熱心さが示されている
のです。そして、その「清さ」を、御子イエス・キリストが真に実現してくだ
さったのです。主イエスが真実に十字架の死を遂げ、復活の永遠の命を明ら
かにしてくださったことによって、主イエスの中に本当の清さがあることが
明らかにされたのです。そうであれば、今や私たちには、清さを求める旧約
聖書の細かな定めから解放されて、主イエス・キリストの真の清さに生きる
道が開かれているのです。まったくの罪の汚れのただ中で、主イエスの清さ
を求め、主イエスの清さに与かって生かされる救いの道が開かれているので
す。