メッセージ  (説教より)
「ヨハネによる福音書」




 復活の朝     ヨハネ福音書20章1−10節

 主イエスは、人間の罪を負う十字架の死を全うしてくださることを通して、すべての人間の罪を贖ってくださり、復活という神の永遠の命を明らかにし、すべての人間が、この命に与ることによって、罪と死の深い囚われから解放された本当の自由に生きることができる救いの道を拓いてくださいました。
 主イエスのご復活は、これほど喜ばしい、いや、決定的な神による人間の救いの出来事なのですが、同時に常に私たち人間の戸惑いと疑いの対象でもありました。死人のよみがえりというようなことが、本当にあったのだろうか、それは人間の希望的観測にすぎないのではないか、と考えるのです。
 主イエスの復活が信じ難いことであったことは、主イエスに従った当時の弟子たちや女たちも同様でした。福音書が描く主イエスの復活の朝の女たちや弟子たちの様子は、死の現実に対する深い絶望と諦めに満ちたものでした。
 主イエスの復活は、人間の現実を見ていては、信じることができません。主イエスご自身を見つめるのです。すでに隠れた神の全能を意味する聖霊の恵みの中に歩まれた主イエスを見つめるのです。その主イエスが、聖霊の守りの中で、人間の罪を負う十字架の死を神への信頼と人々への愛の中に受け抜くことによって、主イエスの死は真に神の御心に適った、罪を贖う祝福された死と認められたのです。その死に三日目に神の全能の御力が加えられることによって、主イエスはよみがえらされ、文字通り人間の罪と死に勝利するまことの救い主としてのご自身を表わされたのです。主イエスの復活の朝は、まことの救い主が明らかにされる新しい望みに満ちた朝となったのです。