メッセージ  (説教より)
「ヨハネによる福音書」





「まことの光」   ヨハネによる福音書1章6−13節

 私たちが信じる主イエス・キリストについて「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」(9節)と言われています。
 「まことの光」とはどういうものでしょうか。決して陰ることなく、隠れることなく、いつでもどんな時でも一人ひとり、すべての人の魂を照らし続ける光、ということではないでしょうか。
 どんなに落ち込んで、まったく光が見えないように思われる「暗黒」の中にいる時にも、主イエスは「まことの光」として私たちの魂を照らし、励まし続けていてくださるのです。「わたしの光を浴びて、わたしの光の中に生きなさい。そうすれば、生きることができる。あなたも光となって生きることができる」と励まし続けていてくださるのです。
 なぜ主イエスはそのような光なのでしょうか。それは、主イエスの十字架がすべての人間のすべての罪の「贖い」であるからです。主イエスの十字架によって贖われていない罪はないのです。どんなに恐ろしい、みにくい、貧しい罪も主はご自身の十字架の死によって贖い、赦していてくださるのです。
 詩編139編に「どこに行けば、あなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたはそこにいます」(7−8節)と記されています。まさに十字架と復活の主がそのようなお方としていてくださり、「わたしのもとに来て、あなたのすべての重荷を下ろして、わたしの命によって生きる者となりなさい」と招き続けていてくださるのです