メッセージ  (説教より)
「ヨハネによる福音書」





「わたしの主、わたしの神よ」      ヨハネによる福音書20章24−31節

「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」(25節)というトマスの言葉は、主イエスの復活を信じることのできないトマスの苦悩の叫びのように聞こえます。そのトマスの心の叫びを復活の主は聞かれるのです。そして、そのトマスの願いに応えようとしてくださるのです。そのこと自体の中に、すでに深い主の憐れみを覚えさせられます。
 前回(19節以下)とまったく同じ状況の中で、今や主はトマスだけを目指すようにして、トマスに復活のご自身を示されるのです。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」(27節)と復活の主は言われます。主イエスの復活が信じられないのであれば、思う存分主イエスの復活の体を確かめてみなさい。気が済むまで確かめ、それによって主イエスの復活を心から信じる者となりなさい、と主は言われるのです。
 主イエスの体に十字架の傷跡を確かめたい、と言うのです。乱暴なトマスの願いです。しかし、主イエスはそのトマスの願いを拒まれないのです。どこまでも受け入れてくださるのです。その上で、「信じない者ではなく、信じる者になる」ことを求められるのです。そこに、すでに主イエスの十字架の愛が示されているのです。トマスはその愛に触れたのです。復活の主イエスの中に十字架の愛を見たのです。その時、トマスの心は砕かれて、「わたしの主、わたしの神よ」(28節)と言って、復活の主の御前にひれ伏す者となったのです。