メッセージ  (説教より)
「ヨハネによる福音書」





「さあ、朝の食事をしなさい」     ヨハネによる福音書21章1−14節

 「わたしは漁に行く」とペトロが言うと、「わたしたちも一緒に行こう」と仲間の弟子たちが言いました。弟子たちはすでに復活の主イエスを知っているのです。(14節)それでも「漁に行く」という日常的な現実は変わらないのです。「彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。」(3節)とあります。主イエスが復活されても、魚が一匹も取れない時があるという現実も変わらないのです。
 どのような思い出弟子たちは岸に戻ったのでしょうか。主イエスが復活されても、自分たちの現実は少しも変わらない、という失望感が起こり得たのではないでしょうか。復活の主イエスへの疑いが生じたかもしれません。
 しかし、復活の主は、決して弟子たちをお見捨てにならなかったのです。深い徒労感を味わいつつ帰ってきた弟子たちに対して、復活の主は、姿を隠しつつ現れ、御言葉を与えて下さったのです。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」(6節)と。「舟の右側に網を打つ」とは、祈りをせよ、ということでしょう。今、自分に与えられた現実のただ中で祈れ、ということです。そこに、豊かな恵みが約束されている、と言うのです。
 現実の助けを祈るのではなく、私たち自身が復活の主の清き命に与ることを祈るのです。私たち自身が復活の主の清さに与る時に、現実そのものも豊かに祝されるのです。その時、私たちは改めて復活の主が生きて働いておられることを知ることができるのです。その時、私たちは新しい望みのうちに一日の「朝」を、人生の「朝」を復活の主と共に始めることができるのです。