メッセージ  (説教より)
「ヨハネによる福音書」

「わたしは復活であり、命である」
            ヨハネによる福音書11章17−44節

 

 主イエスがマルタに「あなたの兄弟は復活する」と言われた時、マルタは
「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と答えました(23
〜24節)。主イエスはラザロは「今」復活すると言われたのですが、マルタは
遠い将来、「終わりの日の復活の時」に復活することを考えたのです。
 マルタにとって、兄弟ラザロが「今」(この時に)復活するなどということ
は夢にも考えられないことだったのです。愛する主イエスが共にいてくださ
るにもかかわらず!マルタにとって、死の現実は主イエスの存在よりもはる
かに強大な、絶対的な支配の現実だったのです。
 そのマルタに対して、主イエスは「わたしは復活であり、命である。わた
しを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、
決して死ぬことはない」(25〜26節)と言われたのです。
 主イエスは、ラザロは今、主イエスの復活の命に与って復活すると言われ
たのです。なぜなら、主イエスご自身が「復活の命」そのもののお方である
からです。主イエスは、今すでに、死人をよみがえらせる神の全能の命の中
に生きておられたのです。聖霊の御力によってあらゆる罪の働きから守られ
た清いお方であることがそのことを証ししているのです。主イエスはご自身
の中にいつも神が共におられ、神の全能の御力によってご自分が守られ支え
られていることを知っておられたのです。神の全能の御力を味わいつつ生き
ておられたのです。それ故に主イエスは、主イエスを信じ、主イエスの命に
聖霊によって与る者は、肉体は死んでも魂(人格)は死ぬことがなく、また
生きていて主イエスを信じる者は、すでに主イエスの命に与って罪と死に勝
利する永遠の命に生かされている、と言うことがおできになったのです。