メッセージ  (説教より)
「ヨハネによる福音書」

「死んでも生きる」     ヨハネによる福音書11章17 - 27節

 主イエスが「あなたの兄弟は復活する」と言われた時、マルタは「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と答えました(23〜24節)。主イエスは、兄弟ラザロは、いま、復活する、と言われたのです。しかし、マルタはそのように受け止めることができず、「終わりの日」(救いの完成の時)に復活することは信じています、と答えたのです。主イエスと同時代に生きた人々にとっても、死んだ人間が、いま復活するということは信じがたいことだったのです。死の絶対主権性は、昔も今も変わらない現実です。
 主イエスは、続けて「わたしは復活であり、命である」(25節)と言われました。主イエスが復活であり命であるとは、主イエスがいますでに死に勝利する神の全能の命の中に生きておられる、ということです。聖霊のお働きの中で、神の全能の御力によって、すべての罪の肉の働きから清められたお方として生きておられる、ということです。その意味で、主イエスの中にすでに死に勝利する復活の命が働いているのです。その命が、ラザロの中に働くことによって、ラザロは、いま、復活するのです。
 最後に主は、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。」(25〜26節)と言われました。主を信じる時、主の復活の命が信じる者の中に働くので、その人は死んでも生きるのです。いや、死んでこそ、すべての肉の働きから解放されて、復活の命の完成の中に生かされるのです。主を信じる者は、地上の命の中ですでに主の復活の命に生かされるので、決して死に支配されることがないのです。