メッセージ  (説教より)
「創世記」


「イサクの結婚」    創世記24章2−27節


 イサクの結婚についての記述が、抒情性豊かにそして確かな神の祝福と導きを覚えさせられる筆致で描かれています。
 この記述の中で特に深い感銘を与えられるのは、アブラハムに仕える年老いた僕の主人に仕える人間的な誠実さと、主人アブラハムの信仰に共に生きる僕の神への心からの信頼ではないでしょうか。その人間的な誠実さと神への心からの信頼が、現実の歩みのただ中で豊かな祝福をもって報いられるさまを感謝の内に知ることができます。
 「主人アブラハムの神、主よ。どうか、今日、わたしを顧みて、主人アブラハムに慈しみを示してください。わたしは今、御覧のように、泉の傍らに立っています。この町に住む人の娘たちが水をくみに来たとき、その一人に『どうか、水がめを傾けて、飲ませてください」と頼んでみます。その娘が、『どうぞ、お飲みください。らくだにも飲ませてあげましょう』と答えれば、彼女こそ、あなたがあなたの僕イサクの嫁としてお決めになったものとさせてください。そのことによってわたしは、あなたが主人に慈しみを示されたのを知るでしょう」(12〜14節)と僕は祈りました。
 神さまに自分から条件を付けるような祈りです。しかし僕には、そう祈る以外に方法がなかったのではないでしょうか。その全幅の神信頼の中に、すべてのことが豊かに導かれていくのです。「お前はこの人と一緒に行きますか」と尋ねる母親に「はい、参ります」(58節)と答えたリベカの大胆な決断も、うそ偽りのない僕の真実がそうさせた、と言うことができるでしょう。