メッセージ  (説教より)
「創世記」





 イサク誕生           創世記21章1−8節

 約束の子イサクの誕生という神の真実を証する喜ばしい出来事の前後に、暗く厳しいこの世の罪の現実を映す出来事が記されています。
 アブラハムの妻サラは、またしても異教の支配者、ゲラルの王アビメレクの妾として召されなければなりませんでした。アブラハムは深い屈辱と無力感を味わったことでしょう。しかし、その中で「罪を犯すことのないように、彼女に触れさせなかった」(20章6節)と強調されていることに慰めを見出すことができます。罪深い現実のただ中で神が信じる者をお守りくださる事実を確認することができます。新約聖書ガラテヤ書5章16−17節に「霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。・・・肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです」と記されている御言葉を実感させられます。
 21章9節以下には、ハガルとイシュマエルに関するアブラハムの家庭内のごたごたが記されています。神の確かな祝福の中にあるアブラハムであっても、現実にはなお自らの罪によって引き起こした問題に苦しめられていたのです。どんなに誠実に神を信じる者として生きても、人を苦しめ、悲しませ、傷つけざるを得ない事実があることを思わされます。それでも神がその責任を担い、苦しみを益となるよう導いてくださることを知る時、深い慰めを覚えさせられます。神の約束の子イサクの誕生は、神の御子イエス・キリストの誕生を指し示しています。御子イエスこそ、すべての人間の罪を背負ってくださいました。その恵みの中にいよいよ深く生きていきたいものです。