メッセージ  (説教より)
「創世記」





「ソドムの滅亡」         創世記19章1−29節

 「ソドムの滅亡」のことが創世記19章に記されています。「滅亡」しなければならなかったソドムの罪とは、何でしょうか。どんなに神様の言葉を聞いても、神を恐れることがない、神への不従順ということではないでしょうか。
 マタイ福音書11章23節以下に「カファルナウム、お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったに違いない。・・・裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済むのである」と言われています。ソドムより重い罪とは何でしょうか。主イエス・キリストという「神の奇跡」を目の当たりにしながら、容易に心を開こうとしないカファルナウムの人々の不従順のことなのです。
 「今夜、お前のところへ来た連中はどこにいる。ここへ連れて来い。なぶりものにしてやるから」(5節)とあります。「なぶりものにする」という言葉の中に、性的不品行の意味が込められています。人間と動物の区別がつかないような性的放縦の中に、神を恐れることを忘れたソドムの人々の退廃的な生活が暗示されています。
神は、そういうソドムの生き方、いや、カファルナウムの在り方に対して、否を言われたのです。その徹底的な完膚なきまでの神の裁きが、御子イエス・キリストの十字架の出来事において示されたのです。しかし、その主イエス・キリストの十字架と復活の出来事を通して、神は、すべての人間に対する限りない罪の赦しと愛、永遠の命への招きを明らかにしてくださったのです。