メッセージ  (説教より)
「創世記」





「メルキゼデクの祝福」              創世記14章17−24節

 アブラム(これからはアブラハムと呼びます)は、神からの召命を受け、神を信じる信仰の生活に入るとすぐに、大きな試練を受けました。飢饉のためエジプトに逃れて行った時、自分の妻サライを自分の「妹」と言わなければならない屈辱を味わったのです。(12章10−13節)
 嘘をつかない、正直な生活が大切なことは当然のことですが、もっと大切なことは、どんなにボロボロになり、自らを人間のおぞましい罪の現実の中に身を置かなければならないとしても、そういう私の罪を赦し、憐れみのうちに救ってくださる恵みの神を信じ抜くことなのです。
 アブラハムは、そういう試練の中に置かれたのです。そして、その試練に信仰をもって耐えることを通して、そのような窮状から救い出してくださる不思議な神の救いを経験することができたのです。(12章17−20節)
 創世記14章13節以下に、軍人アブラハムの姿が記されています。普段は穏やかな半農半遊牧の生活をしていても、敵と戦わざるを得ない時があります。その時アブラハムは、「訓練を受けた者三百十八人」(この中途半端な数字が精鋭部隊であるかを意味しているのではないでしょうか)を用いて戦い、敵を撃破し、輝かしい勝利を収めることができたのです。
 アブラハムは自分の戦いに祈りを込めたのではないでしょうか。そのアブラハムの戦いの本質が、神の守りと導きによる信仰の戦いであることを見抜き、「パンとぶどう酒を持って」祝福のために訪れた不思議な人物が、「いと高き神の祭司」「サレムの王メルキゼデク」であったのです。(18節)