メッセージ  (説教より)
「創世記」





「人は肉にすぎない」    創世記6章1−22節

 「神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした」(2節)とあります。「神の子ら」(神を信じる者たち)が、自分の好みにまかせて結婚の相手を選ぶ不信仰が世に満ちていたのです。「結婚」という現実における神への正しい恐れと信頼が失われていたのです。
 結婚は、本来、神が与えくださる現実なのです。私たち自身の結婚の決断の背後に、神の決断があったのです。神が、私たちの思いを超えて「これがあなたにふさわしいパートナーである」として与えてくださったゆえに、私たち自身が結婚の決断へと導かれたのです。そのことを守らなければならないのです。そこに、「ついにこれこそ、わたしの骨の骨、わたしの肉の肉」と言い表す結婚における本当の幸せが成り立つのです(創世記2章22〜23節)。
しかし人は、いつしか神への恐れ(信仰)を捨てて、自分の好みにまかせて結婚するようになったのです。結婚における神への正しい恐れが失われてしまったのです。その現実を見て神ヤーウェは、「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」と言われ、人の一生を「百二十年」と定められたのです(3節)。人は、どんなに長く生きても「肉」にすぎないのです。どこまでも自分中心に、自分の勝手気ままさの中に生きる存在なのです。それなら、この「百二十年」の生涯の中で、どれだけ神の御言葉と霊を求めて、「肉」の現実を超えて、「永遠の命」に、まことの幸せに生きるかなのです。神は、そのことを可能とするために、御子キリストを十字架にかけ、復活の命を現わしてくださったのです。