メッセージ  (説教より)
「創世記」





「神と共に歩む人生」        創世記5章1−32節  

 創世記5章にアダムの系図が記されています。単なる名前の羅列のようですが、ここにも深い神の意図が示されています。
 まず気づかされることは、信仰について語られていることが少ないという事実です。わずかに22節に「エノクは、…神と共に歩み、…」とあり、24節に「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。」とあるだけです。ただ一人の信仰者のことが記されるだけで、後はただ名前と生きた年数(人の生きる年数としては天文学的数字ですが)が記されているだけです。
 このことは、人間が、神の被造物であるにもかかわらず、神を信じ、神と共に歩む人生を生きることがいかに稀であるかを意味しているのではないでしょうか。多くの命の連なりの中で、どれだけ長い人生を生きても、わずか一握りの人間だけが自らの造り主なる神を覚えて、信仰に生きるにすぎないのです。(このことを考える時、改めて信仰に導かれる幸いを思わされます。)
それにもかかわらず、神が、すべての人間に、神を信じる信仰に生きることを求めておられる事実は変わらないのです。それなら、アダムの系図に記されている多くの命の連なりは、神が一つひとつの命を愛し、その中から神を信じて生きる者が一人でも多く与えられることを祈り求める、神の祈りの連なりでもあるのではないでしょうか。このアダムの系図の果てに、人間の命の系図の極点において、神の御子イエス・キリストがお生まれになったのです。神は、この御子によって、いよいよ切に一人でも多くの者が神を信じ、「神と共に歩む」幸いな人生を過ごすように求めておられるのです。