メッセージ  (説教より)
「創世記」





「皮の衣を着せられた」         創世記3章1−24節

 「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか」(1節)と蛇がエバに問いかけました。「どの木からも」というのでなく、「園の中央に生えている木の果実だけ」(3節)食べてはいけないのです、と神を「弁護」する間に、エバの心の中に「どうして園の中央の木の実だけは食べてはいけないのか」という「疑い」が生じたのです。
 「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存知なのだ。」(4〜5節)という蛇の言葉によって、エバの不信は決定的になるのです。「神のように善悪を知るものとなる」ことが、神にとって不都合なことだからではないのか。園の中央の木の実に対する神の禁止命令は、人間のためではなく、神のため、神の都合のためなのではないか、という疑いがエバの心を捕らえたのです。
 神ではない、神の被造物にすぎないものが「神のようになる」ことが誤りなのです。それによって人間は、神への全き信頼と従順を失うのです。神との真の交わりから離れるのです。神の被造物にすぎない人間は、神の御言葉の真理と愛に信頼して、御言葉に自分のすべてを委ねるべきなのです。その時、心の目が開かれ、御言葉に生かされる救いの生活を与えられるのです。
 神から離れた人間は、果てしのない「敵意」(15節)に生きる者となりました。果てしない罪の再生産と空しい労苦に生きる人間を神は憐れみ、罪によって滅びることがないように「皮の衣を着せ」(21節)てくださいました。その神の憐れみによる救いが、御子キリストの出現によって実現されたのです。