メッセージ  (説教より)
「創世記」





「二人は一体となる」              創世記2章4−25節

 「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」(18節)とあります。どの点で、人が「独りで」いるのは良くないのでしょうか。それは、何よりも「信仰」においてです。神を信じて生きる信仰において、人は「独りでいるのは良くない」のです。不信仰の誘惑に負けるからです。信仰は互いに助け合い、戒め合い、励まし合ってこそ、正しい信仰に生きることができるのです。教会の交わりが大切なのもそのためです。
 神はそのために「彼に合う助ける者」として「女」を造られたのです。それなら「夫婦」は、本来、助け合って「信仰」に生きるために与えられたものなのです。そのために神は私たちに「結婚」を与えてくださったのです。
 「人を深い眠りに落とされた。」(21節)とあります。「深い眠り」とは、神への全き従順のことです。すべてを神に委ねるのです。その中に神の全能の御力が働くのです。そのようにして男の「あばら骨の一部」から「女」が造られ、「ついに、これこそ、わたしの骨の骨、わたしの肉の肉」(23節)という夫婦の出会いの喜びが与えられるのです。夫婦が共に深く御言葉に聴き、御言葉に生かされる時、そこに出会いの最高の喜びが与えられるのです。
 「男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。」(24節)とあります。夫婦は親兄弟を超えた「最高の肉親」として「一つの体」を生きるのです。夫婦が、そのようにして「キリストと教会」の関係(エフェソ5章32節)を指し示しつつ、教会の交わりの中に生きることをこそ、神は私たちの結婚において求めておられるのです。