メッセージ  (説教より)
「創世記」


「ヨセフの死・神の顧み」    創世記50章15-26節

「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。」(19~20節)
 父ヤコブが死んだことによって、ヨセフがまだ自分たちを恨み、自分たちに仕返しをするのではないかと恐れた兄たちに対して、ヨセフは深い憐みの心をもってそう答えました。
 ヨセフがそのように答えることができたのは、ヨセフが決してこの世的、人間的に恵まれた立場にいたからではありませんでした。ヨセフが心から恵みの神を信じていたからです。人の悪を(自分自身の罪をも)善(益)に変えてくださる憐みの、恵みの神を信じていたからです。
 ヨセフがそのような信仰の確信を与えられたのは、ヨセフが人生のどん底にあり、最も苦しい時に「共にいてくださる」恵みの神を知ったからです(39 章21~23節)。その神を知ることによって、ヨセフは、自分も人も含めて、すべてを神に委ねる信仰に生きるすべを知ったのです。
「『どうか恐れないでください。このわたしが、あなたたちとあなたたちの子供を養いましょう。』ヨセフはこのように、兄たちを慰め、優しく語りかけた」(21節)。人生の終わりに、深い信仰の聖化の道を証ししたヨセフでした。「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます」(25節)。これが、自らの死を前にして語ったヨセフの最後の言葉でした。この言葉が、神の御子、救い主イエス•キリス卜の出現によって真に確証されたのです。