メッセージ  (説教より)
「創世記」


「不思議な神の摂理」    創世記42章17-38節

 ヨセフの夢の解き明かし(41章25節~)の通り、7年の豊作の後、7年の大飢饉が始まり、カナン地方に住んでいたヨセフの兄たちが食料を求めてエジプ卜のヨセフのもとに来ることによって、ヨセフと兄たちの再会が実現することになりました。不思議な神の摂理を思わされます。
 兄たちはエジプトの高官がヨセフであることをまだ知りませんでした。その高官が兄たちの身の上を問いただし、いちばん末の弟ベニヤミンをエジプ卜に連れてくるよう命じた時、兄たちはその難問に苦しみました。兄たちは 父ヤコブが最愛の末息子を手放すことができないことをよく知っていたからです。しかし、兄弟の一人シメオンを人質に取り、兄たちの「正直さ」(19節)を問おうとするエジプトの高官ヨセフの命令に、兄たちは恐れおののきつつ 服さざるを得ませんでした。
 理不尽とも思える苦境を経験することを通して、兄たちは忘れていた、そしてできれば思い出したくなかった、かつて自分たちが弟ヨセフにした仕打ちを思い起こさざるを得ませんでした。「ああ、我々は弟のことで罰を受けているのだ。弟が我々に助けを求めたとき、あれほどの苦しみを見ながら、耳を貸そうともしなかった。それで、この苦しみが我々にふりかかった」(21節)、そう思ったのです。天の神は、私たちの罪をただ冷たく糾弾するお方ではありません。自らの罪に気づき、謙遜な心で神の御前に立つことを求めておられるのです。神はそういう私たちにあふれる愛をもって臨み、主イエスのご臨在の恵みに生かしてくださるのです。それが、神の摂理の意味なのです。