メッセージ  (説教より)
「創世記」


「夢を見るヨセフ」      創世記37章1-36節

「聞いてください。わたしはこんな夢を見ました。畑でわたしたちが束を結わえていると、いきなりわたしの束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると、兄さんたちの束が周りに集まって来て、わたしの束にひれ伏しました。」わたしはまた夢を見ました。太陽と月と十一の星がわたしにひれ伏しているのです。」(6-7節、9節)
ヨセフはこう言って、自分が見た夢を兄たちや父に話しました。そのことの故に、兄たちはヨセフを憎み、殺そうとするまでになったのです。
確かにこの夢は、ヨセフに対する神の特別な祝福を意味するものだったかもしれません。しかし、そうだとしても、いや、そうであればこそ、それを軽々しく兄たちに話すべきではなかったのです。ここにヨセフの信仰者としての未熟さがあったのではないでしょうか。
ヨセフはむしろ、その夢を心の中に秘めて置くべきだったのです。「心の中でキリストを主とあがめなさい」(ペトロの手紙一 3章15節)とあるように。心に秘めて、静かに、祈りの内に自らの人生を神の導きに委ねるべきだったのです。そうすれば、ヨセフの夢は、実際にヨセフが歩んだ道(苦難の道)とは違った仕方で実現されたのではないでしょうか。
それができず、安易に夢を兄たちに語ることによって、ヨセフは兄たちの怒りを買い、自らの人生を危機にさらすことになったのですが、神は、このヨセフを憐れみ、常に共にいてくださることによってあらゆる誘惑と危険からヨセフを守り、そのことを通してヨセフの夢が実現されていったのです。